なぜライトノベルを書きたいのか。あなたが作家を目指す理由はどれ?

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ライトノベルを書きたい。

その最初の理由を覚えていますか?

あらためてそのこと考えてみると、意外と分からないということもあるかもしれません。

今日はライトノベルを書きはじめる理由、あるいはライトノベルを書き続けるための理由を考えてみます。書いてみたいのに筆がすすまない。書いてる途中でとまっちゃった。そんなときにどうして書きたいと思い始めたのかを思い出すことで、初心をとりもどせるかもしれませんよね。とりもどした初心は、きっとあなたの背中を押してくれることでしょう。

肩書きへの憧れ

作家という言葉には、知性と権威のイメージがついています。先生と呼ばれ、出版社のパーティーに招かれ、高級旅館で缶詰め(執筆に集中できる環境に軟禁)にされて、たった一語の形容詞を選ぶのに何ヵ月も苦悩したり、うっかり自殺して国語の教科書にのったりする。なんだかかっこいいですよね。作家という言葉には憧れをさそう魔性があるのです。

また会社勤めのサラリーマンと違い個人事業主のクリエイター稼業なので、組織やしきたりにはいやいや従わなくてもよい自由さがあります。満員電車にゆられなくていいし、むだな会議で人生の貴重な時間を空費せずにすみます。   ワープロとネット回線さえあれば文章はどこでも作れるので、仕事の場所を選ばないのも素敵なところです。ノートパソコン片手にファミレスで原稿を書くもよし、手ぶらで漫画喫茶にいって書くもよし、世界一周旅行の船の上で書くもまた自由です。

日本の出版社はほとんど東京に集中していますが、作家にすむ場所を決めつけるしばりはありません。担当編集からご飯をおごってもらう頻度は東京に住んでいるほうがあがるかもしれませんが、北海道から沖縄まで、東京との距離が創作にマイナスになることはめったにありません。地方在住のヒットメーカーなんてゴロゴロいます。

かように魅力のつまった作家という肩書きに、憧れを抱くのは自然なことです。作家になりたい、作家という肩書きがほしいということ自体が目的でライトノベルを書きはじめるという人はたくさんいます。

面白い作品に触れて

優れたライトノベルは、読者を触発します。好きな本を読んでいて創作意欲が刺激された結果、自分も作家を目指したという話はよく耳にします。自分もこれなら書けそう!とか、俺ならもっと面白いの書けるぜ!など、読書体験から自信を獲得して、読み手から書き手にスライドしたくなるという気持ちも理解しやすいものでしょう。

芸術家の岡本太郎はかつて言いました。見た人にこんなの真似できないと思わせるようなもったいぶった芸術は二流。ほんものの芸術は見た人の情念をかきたてて、いままでその人が気づきもしなかった内なる創作意欲に火をつけるようなものをこそ言う、と。誰しもが芸術家になっていいし、誰しもが潜在的に創作意欲を秘めているというわけです。影響こそが芸術性であり、影響をあたえる作品こそが本当の芸術なのですね。ライトノベルも同じです。真似がしやすそうにみえる。自分も書いてみたくなる。読むだけで自分も作家になれる、作家になりたい、と思わせてくれる作品は良い作品です。そしてそういう触発をうけて書き始める人は幸運と言えましょう。

著名な作家のなかにも名作とよばれるライトノベルを読んで自分にも書けるかもしれないと思ったことが作家を目指すきっかけだったという方はいます。インタビュー記事を読むとそういう話はけっこう出てきて、ライトノベルの世界は表面化していないだけで多様な師弟関係が形成されていることが読みとれます。あの作家みたいなものを書きたい、あの作品みたいなものを書きたい。はじめは模倣かもしれません。しかしこうした初期衝動からもプロは生まれていくのです。

文章で楽しませたい

誰か楽しませたいという欲求はライトノベルを書きはじめるきっかけとしてきわめて自然で、かつ強力な武器にもなります。楽しませる手段としてなぜ文章を選ぶのか?そしてなぜ若い世代を楽しませたいのか?そのなぜに自分なりの答えをもっている人は、ライトノベル作家の資質ありと言っていいでしょう。

誰かを楽しませる手段として、漫画やイラスト、映像(動画やアニメ)ではなく、演劇でもお笑いでもなく、どうして文章なのかを考えてみましょう。文章はそのほかの表現に比べて参入ハードルが低いという特徴があります。キーボードを叩けて、テキストデータを保存して、メールで送信できれば完了です。もっとシンプルに読む、書くというふたつの行為でおおむね完結しています。ペンやインクやスクリーントーンを用意する必要もないし、イラスト専用のソフトを購入する必要もありません。撮影用の機材や動画編集のアプリもいりませんし、絵コンテを描くこともなければ、芝居の稽古に汗をながすこともなく、コンビの相手をさがして漫才のネタを考える必要もないのです。ライトノベルは文字さえ書ければそれでOK。ほとんど無料ではじめられるので、誰かを楽しませるためにものを生み出したりと願うとき気軽に挑戦してみやすいのですね。

また、叙述トリックといって文章ならではの表現上の強みもあります。くわしくは別の記事で書きますが、文章には「線条性(せんじょうせい)」という概念が密接にかかわっており、これをうまく利用することで読者をあっと驚かせたり強烈なカタルシスを味わわせることが可能です。線条性は文章の弱点でもあり、強みである、とても大切な概念です。うっかりすると「縛り」となって表現を制限する一方、「映像化不可能!」とか「衝撃のどんでん返し!」なんていううたい文句が帯に添えられることになるのも、この線条性という文章の特徴があればこそなのです。

書くことが楽しい

スランプに陥っている人には信じられないことかもしれませんが、文章を書くという行為にはえもいわれぬ高揚感がともなうものです。たとえば小学生のころを思い出してください。作文の時間。原稿用紙に鉛筆を走らせるとき、紙と鉛筆の先がこすれる感覚が、手の動きにあわせて断続的に神経をつたう。手を止めずに一息に書き続ければその感覚は強くなり、ふと手をとめれば感覚は休み、手触りを求めて鉛筆は次の一行をつむぎはじめる。あー、書くって楽しいな!って、なんとなくわかりますよね。

つまり、書くという行為は思考と同時に身体を働かせるものであり、神経を伝わる感覚と不可分です。作業興奮という考えにしたがえば、断続的な感覚によって脳は快感をおぼえるともされています。書くことは気持ちのいいことなのです。

もちろん、キーボードを打鍵する動きからも作業興奮は発生します。連続した文章をモニター上につむぐとき、なんだかよくわからないけど楽しいぞ、文章書くのっておもしろーい!という感覚を味わったことがある人は、少なくないのではないでしょうか。それに虜になってしまったあげくにライトノベル作家への道を歩きはじめてしまった人がいても、何の不思議もないことですね。

やっぱりお金も大事

お金のためにライトノベル作家になりたいという気持ち、私は大好きです。目的と手段を履き違えてはならないとはよく言われますが、誰かを楽しませることよりも大儲けすることを優先する作家がいても、私はいいと思います。お金になりそうだから、儲かりそうだからという理由で書いてみたいという人は「商業的な成功に自信がある」ということの表れです。

また、人に夢を見せ、妄想を切り売りするエンターテイメントビジネスに挑もうとする人が「一発あてて大金稼いでやる!」くらいの夢も抱いていなくてなんとしましょうか。大きな夢をもつ人が、大きな夢を見せられるのです。

事実、ライトノベル作家は売れたらかなり稼げます。重版タイトルがひとつでもあれば年収は立派な数字になりますし、アニメ化までいけば税理士に相談にいかないと損するくらいの収入になります。シリーズ累計100万部超えのクラスなら、法人化して本気で節税対策しないとかえって困るレベルで大儲けすることだってあります。

こちらの記事もご覧ください

ラノベ作家の年収はいくらなのか?

まとめ

いかがだったでしょうか。ライトノベルを書いてみたいという気持ちをよくよく観察してみると、いろいろな理由が浮かび上がってくるものですね。もちろんどれか一つが初期衝動になっているなんてことはきっとなくて、いくつかの理由の組み合わせとその配合バランスに書き手それぞれの個性があらわれるのだと思います。

はたして自分はいったいどういう理由でライトノベルを書きたいと思い始めたのか。いつかはたと筆が止まってしまうかもしれないその日のために、初心をはっきりと自覚しておくことはきっと無駄になりません。

あなたはどんな入り口からライトノベルの世界に入り、どんなゴールを夢見て歩くのでしょうか。コースを決めるのはいつもあなた自身です。 止まりかけたあなたの物語が、あともう一行、もう一段落、もう一章書きすすめられますように。

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